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第3回世界絵画大賞展

■ 審査員のことば ■

   審査員長 佐々木豊(画家)

「蔵野春生氏の構図の勝利」

思わず立ち止った。
白い空間が何とも心憎い。
このアキがあってこそ、綿密に描き込んだ人物が生きる。賞候補の札を貼ろうと手を伸ばしたら、大きな声が落ちてきた。
「その絵、僕がもう貼った」後からツバつけても駄目といった響きの声である。
声の主、本江邦夫審査員と帰りに喫茶店で話して納得した。
評論家には二通りあるそうだ。
発見することにこだわる人と育てることに喜びを感じる人とが。
自分は前者だとおっしゃる。
どうりで、これ僕のもんという、他を寄せつけぬ響きがあったわけだ。
本江氏と私との強烈な押しで大賞は、蔵野春生氏の「夏が終わる」に決まったのである。
蔵野作品は人物や猫の下半身や扇風機などのおいしくないところを断ち切りによって捨て、おいしいところのみに集中して描いたので密度の濃い画面になった。
俯瞰する視点と共に構図の勝利である。 林耕平氏の「頬杖つく男」は迫力十分である。
大賞を争ったが少し荒いということで優秀賞に甘んじた。
荒さは大器の証明だ。
先が楽しみである。 柏田忠氏の「少女K」は西洋古典名画のような深々とした味わいがある。
偶然であるが、人物を題材にした絵が上位入賞を果した。
風景や静物に比べて、むつかしい技量を求められる人物に果敢に挑んだ絵が評価された。
そこにこの大賞展の質の高さを感じた。
佐々木豊賞に桐山和彦氏の裸婦を選んだのもその意味である。

   審査員 本江邦夫(美術評論家・府中市美術館館長)

応募点数が多いわりには、どんぐりの背比べで傑出したものや問題作が無かったのはやや残念な気がします。
しかし、こういうときこそ手堅い作品がいぶし銀のような光を放つこともまた事実です。
大賞作の蔵野春生「夏が終わる」は断ち落としを多用することで、夏の終わりのどこか切ない気分をはらんだ室内に視線を引きつけているのですが、人物よりもむしろ丁寧に描写された個々の事物が存在感を放ち、限られた時間と空間のかけがえのなさを訴えている不思議な作品です。
林耕平「頬杖つく男」は活力が充満した力づよい作品ですが、あまりに正面性を強調しているところがやや幼稚な印象をあたえます。
一方、柏田忠「少女K」は蝋人形のような描写に精彩はあるものの、背景の処理にもう一工夫ほしいところです。
桐山和彦「Forest」は珍しく官能的かつ知的なヌードですが、やや生硬なところが気になります。
西村清「小さな巡礼者」は人物のあまりに遠く小さいのが異様ですが、作者の81歳というお年をきいて、この遠さに意味があるのだと妙に納得しました。
桑田諒「高台の一本の木」は地中海を思わせる澄明な光の下、濁りのない彩色で木立をとらえただけのものですが、その孤高のたたずまいにはどこか形而上学的なものがあります。
奇を衒うことなく誠実に描くことの大切さを教えてくれる、艶やかな花束にたいする「野の花」の価値を秘めた佳作といえるでしょう。
公募展の審査をすると、他の委員たちの支持を得られず、選外となるもののなかに忘れがたいものがあったりするのですが、今回は特にそういうものもなく、見慣れた表現が多すぎる、というのが偽らざる感想です。
本当に描きたいものは何なのかもっとよく考え、それだけを描くようにしてください。
それだけが見る者の心を打つのですから。

   審査員 遠藤彰子(画家・武蔵野美術大学教授)

例年通り傾向としては具象作品が多かった。
昨年より全体的なレベルは底上げされてきたが、特に秀でた作品はなかったように思う。
大賞の蔵野春生氏の作品は、モチーフの組み合わせの妙によって、何気ない日常の一コマに微妙な空気を作り出している。
今後、日常の延長線上にある小さな歪みをどのような形で表していくのか期待をしたい。
優秀賞の二人は、人物を大きく画面に入れた作品であるが、対照的な感性の作品である。
林耕平氏の作品は、骨太の画面で粗野ではあるが、画面に深さが感じられる。
柏田忠氏の作品は、繊細な表現の中にただならぬ情感を感じさせる魅力的なものとなっている。
大作の場合、作家の思想と大きな構成力が絵画の重要な要素となりうるが、小品の場合は自分の思いを小さな画面にどこまで込められるかがその作品を惹きつける一つのポイントとなる。
両作品とも構図は極めてシンプルであるのだが、1点で勝負した場合の味わいの濃さが作品の魅力として表れていた。
遠藤彰子賞の石井大地氏の作品は、淡い色彩が美しく、物語性のある奇妙な世界観を作り出していた。
抽象と具象・現実と幻想の境界線が作家の中でもう一段階昇華されると、より独自の表現としての面白さが出てくるはずである。今後に期待をしたい。
惜しくも選外になった作品の中にも、落としがたい作品が多数あったこともここに記しておきたい。作家の独自の試みと旺盛な意欲に加え、小さい作品ならではの魅力を生かした作品を今後も期待をしたい。

   審査員 久里洋二(画家・アニメーション作家)

今回、初めて世界堂絵画大賞展の審査に招待されて、審査をさせていただいたのですが、あるコンクールの審査と重なってしまい無理にお願いして、僕個人として一人で審査したのですが、他の審査員の先生たちの意見なくして独断で選びました。
でも、審査の目は殆ど間違いなく、僕が選んだ作品の殆どが入賞したことをホッとしています。
僕の場合、どちらかと言うとアイデアを重点に考えていましたので、少しばかり選び方がナンセンス的だったかもしれませんが、絵画と言うものは模倣ではいけません。
影響を受けるというのも、下手すれば模倣に成りやすいことです。
絵を描いていれば、技術的には上手になりますが、絵の中に心を感じなくなってしまっては何の意味もありません。
一つの絵を見て、行き詰まる様な絵には魅力は有りません。未来を予言するような、のびのびとした絵は見ていて心が引かれます。
そんな絵が僕は大好きなんです。

   審査員 芸術新聞社 茂野裕(美術新聞社取締役)

今回初めて審査に立ち会わせていただいた訳だが、素直にいうと、明確に他作品を圧倒したという傑作には遭遇しえなかったといえるだろう。
だが、審査員の厳重な審査を受けて最終的に賞候補として並べられた作品群は、どれを選んでも賞を受けるに遜色ないものばかりではあった。
こうしたコンクールでは、他を少しでもリードするため、まず審査員に与えるインパクトという意味でも、ある程度作品の大きさが必要だろう。
小品で勝負するには非常にクオリティーの高い作品が要求される。
現に最後に絞られた大賞候補作品6点もサイズは大きいものであり、残念ながら今回の小品応募者の中にはサイズの不利を跳ね返し、大賞を奪い取るほどの逸材は見られなかった。
また、応募作品は大きく分けてほとんどが具象系、抽象系が極めて少なくてやや物足りなく、わずかにあった抽象作品に、これは賞候補に残したいと思わせるものは無かった。
結果、蔵野春生さんの作品はしっかりした描写力、画面構成が評価され大賞に押された。
しかし、優秀賞の柏田忠さん林耕平さんの作品も大賞候補として最終選考で審査員の意見が割れるという事実もあったことを報告しておく。
そして、井出三太さんの作品は家並・風景の造形表現、物語性を際立だたせる色調に惹きつけられ、芸術新聞社賞を贈らせていただいた。
職業柄、美術館・画廊・デパート・審査等で多くの作品と接しているが、最も悦びを感じる事はと問われれば、未だ目にしたことのない作品との出会いということになろうか。
とてつもない才能に遭遇する瞬間を夢見続けている。


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